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千葉地方裁判所 昭和57年(ワ)807号 判決

原告 澤畠武道

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 廣瀬理夫

同 山崎巳義

同 色川清

同 小川寛

被告 国

右代表者法務大臣 嶋崎均

右訴訟代理人弁護士 宮﨑富哉

被告 千葉県

右代表者知事 沼田武

被告両名指定代理人 金子甫

〈ほか六名〉

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告澤畠武道に対し、各自金三九五二万六〇九六円及び内金三八〇二万六〇九六円に対する昭和五六年九月二九日から内金一五〇万円に対する昭和五七年八月二七日から各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは、原告澤畠道子に対し、各自金三八九二万六〇九六円及び内金三七四二万六〇九六円に対する昭和五六年九月二九日から、内金一五〇万円に対する昭和五七年八月二七日から各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文同旨

2  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

原告澤畠武道(以下「原告武道」という)及び原告澤畠道子(以下「原告道子」という)夫婦の長男である澤畠豊(昭和五〇年一二月二五日生・以下「豊」という)及び次男澤畠修(昭和五二年五月一六日生・以下「修」という)は、昭和五六年九月二九日午後六時頃、千葉県市川市新浜二丁目所在千葉県湊排水機場(以下「本件排水機場」という)内の調整池(以下「本件調整池」という)の水槽に転落し、豊は同県浦安市当代島四六一番地所在葛南病院で、修は右調整池内で同時刻頃それぞれ溺死した(以下「本件事故」という)。

2  本件事故現場の状況

(一) 本件排水機場は、原告らの住居から東方に向かって徒歩数分のところにあり、地下鉄東西線行徳駅から徒歩約一五分のところにあって、付近は昭和四四年に右地下鉄が開通してから急速に宅地化が進み高層住宅や民家が建ち並んでいる。

(二) 本件排水機場付近は、自然の遊び場が少なく、比較的緑の多い本件排水機場及びそれに隣接する宮内庁新浜御猟場に子供ばかりでなく大人も多く遊びに来ている状態であった。

(三) 本件排水機場は、その周り約四分の三が通路によって囲まれていて、外部との境には、高さ約一・五メートルの金網フェンス(以下「外周金網フェンス」という)が張りめぐらされている。

(四) 本件調整池は家庭排水と海水を調整するための施設で、約一ヘクタールの水槽部分のまわりに幅約三・五メートルの平坦なコンクリート敷部分があり、その平坦なコンクリート敷部分に続き、上り勾配で約四メートルのコンクリート製護岸が設けられており、その護岸の上端から排水機場敷地と外部との境までは狭いところで数メートル、広いところで一〇数メートルにわたって平坦な草地となっている。

(五) 豊及び修が発見された別紙現場見取図(以下「別紙見取図」という)「本件事故発生場所」との指示部分(以下「本件事故発生場所」という)は前記護岸が幅約二メートルにわたって切断され草地から水面までが切り立った状態で直接結ばれている。

3  事故発生の態様

豊と修は、事故当日午後四時三〇分ころ、自転車に乗って自宅から本件排水機場に向かい、別紙見取図C地点に来てそこに自転車を止め、金網越しに本件排水機場内をながめていたが、中に入りたくなって、入れる場所を探して外周金綱フェンス沿いに移動していたところ、別紙見取図ロ点ハ点及びニ点に穴が開いていることを発見し、右三点のうちいずれかから本件排水機場内に入り、草地を横切って本件調整池にたどりつき本件事故発生場所付近に至り、コンクリート製護岸が切れている部分で下水路部分の両側に存する幅約四〇センチメートルのコンクリート部分を利用して「すべり台遊び」をして遊んでいるうち本件調整池に転落した。

4  本件排水機場の設置管理の瑕疵

(一) 本件排水機場と外部との境の外周金網フェンスの高さはわずか約一・五メートルで、子供達も小学校高学年になれば容易にフェンスを跳び越えて中に入ることができた。しかも右フェンスはしばしば破られ、本件事故当時も別紙見取図ロ、ハ、ニ各点の穴を含めて五か所の穴が開いており、子供が容易に通りぬけできる状態であった。

(二) 本件事故発生場所の下水路が草地を横切る部分には、本件事故当時、高さ約一・二メートルの金網フェンスが設置されていたが、そのフェンスの長さが約二・五メートルと短いので、切断されている部分の真上からの転落を防止することができるに過ぎず、両脇からは本件調整池に達することができ、それ以外に本件調整池の水槽の縁にフェンスは設置されていなかった。

(三) 本件調整池の水槽部分の水深は約三メートルから四メートルであるのに、水槽の縁には手を掛けるところがないので子供が一度転落すれば自力ではい上がることは不可能な状態であったのに水槽部分周囲には、右(二)以外に転落防止の施設はなかった。

(四) 右のとおり本件調整池水槽部分は危険な状態にあったのであるから、訴外千葉県知事は子供が本件排水機場に入らないよう破れている外周金網フェンスを即時に補修し、その高さを高くして有刺鉄線を張り、立入禁止札を立て、監視員を置いて周辺の見回りをさせるとともに水槽部分周囲にも転落防止の手すり等を設けるなど、子供の本件調整池への転落事故を防止する万全の措置を講ずべきであるのに講じなかった。

5  被告らの責任

(一) 被告国は本件排水機場の所有者であり、訴外千葉県知事は海岸法五条一項に基づき右排水機場を管理するものであって、被告千葉県は同法二五条によって右訴外人の統轄する地方公共団体として右排水機場の管理に要する費用を分担するものである。

(二) 豊と修の死亡事故は訴外千葉県知事の右排水機場の設置及び管理の瑕疵に起因するものなので、被告国は国家賠償法二条一項により、被告千葉県は同法三条一項により本件事故によって生じた後記損害を賠償すべき責任がある。

6  損害

(一) 逸失利益と相続

(1) 豊の逸失利益

豊は本件事故当時健康な満五歳の子供であり、本件事故にあわなければ少くとも満一八歳から六七歳に達するまで四九年間の就労が可能である。その間の収入金額は、昭和五五年度賃金センサス(第一巻第一表産業計企業規模計男子労働者学歴計)の年間総収入が金三四〇万八八〇〇円であるからこれから生活費を五割控除し、ホフマン式計算法(新ホフマン係数)により中間利息を控除すると、合計金三〇七二万一八一〇円となり、これが同人の逸失利益である。

3,408,800×(1-0.5)×18.025=30,721,810

(2) 修の逸失利益

修も本件事故当時健康な満四歳の子供であり、右と同様の計算式で計算すると合計金三〇一三万〇三八三円が同人の逸失利益である。

3,408,800×(1-0.5)×17.678=30,130,383

(3) 原告両名は豊及び修の父母として、右損害賠償請求権について各二分の一にあたる金一五三六万〇九〇五円及び一五〇六万五一九一円合計金三〇四二万六〇九六円ずつをそれぞれ相続した。

(二) 葬儀費用

原告武道は、豊及び修の葬儀費用として金六〇万円を下らない金員を支出した。

(三) 慰藉料

一瞬のうちに、我が子を二名とも失った原告両名の精神的苦痛は筆舌に尽し難く、これに対する慰藉料は各金七〇〇万円が相当である。

(四) 弁護士費用

原告らは、被告らが任意の話し合いに応じないため、本件訴訟を原告ら代理人に委任することとなったが、右委任にあたり、原告らは着手金及び報酬として各々相当額を支払う旨約したが、そのうち本件事件と相当因果関係を有するのは原告ら各人につき金一五〇万円が相当である。

よって原告武道は、被告ら各自に対し、右損害賠償金三九五二万六〇九六円及び内金三八〇二万六〇九六円については本件事故発生の日である昭和五六年九月二九日から、内金一五〇万円については昭和五七年八月二七日から各支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告道子は右損害賠償金三八九二万六〇九六円及び内金三七四二万六〇九六円については昭和五六年九月二九日から、内金一五〇万円については昭和五七年八月二七日から各支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因1の事実のうち豊と修が転落した点は不知、その余は認める。

2  同2の(一)の事実は認め、同2の(二)の事実のうち宮内庁新浜御猟場に緑が多いことを認めその余は否認し、同2の(三)の事実のうち本件排水機場の周りの道路によって囲まれている部分が約四分の三であることは否認し、その余は認める(道路によって囲まれている部分は約四分の二である)。同2の(四)の事実を認め、同2の(五)の事実のうち護岸が切断されている点を認めその余は否認する。

3  同3の事実のうち豊と修が原告主張の場所に自転車を置いていたことは認めその余は否認する。豊と修は別紙見取図イ点の外周金網フェンスを乗り越えて本件排水機場に立ち入ったものである。

4  同4の(一)の事実のうち外周金網フェンスの高さが約一・五メートルであること及び本件事故後に原告主張の五か所の穴があいていたことは認め、本件事故当時右の穴が開いていたことは不知、その余は争う。豊と修は前記3のとおりフェンスを乗り越えて本件排水機場内に入ったのであるから、原告ら主張の穴は本件事故と因果関係がない。

同4の(二)の事実は認める。

同4の(三)の事実は否認する。本件調整池の池底からコンクリート平場面までの高さは池縁部で一・七六メートルないし二・三〇メートル、池心部で二・九メートルで、池の水位は、通常コンクリート平場面より三〇センチメートル位低くなっている。外周金網フェンスから調整池までは、最短距離で約一一メートル、最遠距離で約六二・五メートルあり、予測を超えた危険な行動がとられない限り、容易に転落することはない構造であった。

同4の(四)は争う。本件事故当時、別紙見取図「出入口」の門扉横の外周金網フェンスには「関係者以外立入禁止」と記載した立札が道路面に向けて固定されており、別紙見取図東南にあるコンクリート製の橋付近の外周金網フェンスには「あぶないはいるな」と記載した立札が道路側に存置されていた。外周金網フェンスの形状・高さは、通常予想される危険の発生を防止するための設備として不十分なものとはいえない。また、本件排水機場内で児童らが遊んでいるのを見かけたことはないから、現場に監視員を置いたり、見回りをさせる等の措置、水槽部分に転落防止の措置を講じる必要はなかった。また本件調整池は、池の中に入ったごみを取ったり池の中を浚渫する必要上、調整池水槽部分に金網を張るとか、池の縁にてすりを設けるなどして転落防止措置を講ずることは池の管理の上からできない。

5  同5の(一)の事実は認め、同5の(二)は争う。

6  同6の事実は不知。

三  抗弁

本件排水機場内には万一幼児がこれに転落すれば落命の恐れ多大の本件調整池があり、幼児を連れて本件排水機場内に入ることは幼児を危険に接近させる行為であるので、幼児を監督すべき法定義務ある者としては、平素から幼児に対して本件排水機場内に入ることの危険をよく説ききかせて、これに入ることのないように厳重に注意しておくべきであり、いやしくも幼児を連れて本件排水機場に入るようなことは絶対にすべきことではない。しかるに原告武道は、本件事故の日以前に豊と修を連れて本件排水機場内に入ったことがあるのであって、原告武道は、豊及び修の親権者として当然用うべき注意を怠ったものと言わざるを得ず、豊及び修に対する法定の監督義務を怠った過失がある。

四  抗弁に対する認否

すべて否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1のうち、豊と修が昭和五六年九月二九日午後六時頃本件調整池に転落したことを除く事実は当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、《証拠省略》によれば、豊と修は、昭和五六年九月二九日午後六時三〇ないし四〇分頃、捜索救助に赴いた原告らの知人や市川市消防局員らによって、本件調整池内の本件事故発生場所付近において発見され、その直後死亡したことが認められ、右事実によれば、豊と修は、本件調整池に転落して溺死したことが認められる。

また請求原因5(一)の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、本件排水機場の状況について判断する。

請求原因2(一)(三)(四)、同4(二)の事実は当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

1  本件排水機場は、地下鉄東西線行徳駅から南東へ約一キロメートルのところに位置し、周辺は高層住宅や民家が建ち並ぶ住宅地であり、付近には原告らが居住する五階建住宅二棟に附属する子供の遊び場及び西浜公園がある。

2  本件排水機場の配置状況は別紙見取図のとおり、周囲北東側と北西側は道路に面し、周囲との境には高さ約一・五メートルの外周金網フェンスが設置され、二か所ある門扉は通常閉じられている。

3  本件調整池は、家庭排水と海水を調整するための施設で、広さ約一・八ヘクタール、水深は時によって異なるが二ないし三メートルのコンクリート製の水槽部分があり、その周囲には幅約三・五メートルの平坦なコンクリート敷部分があり、このコンクリート敷部分の周囲には、上り勾配の幅約四メートルのコンクリート製護岸が続き、その護岸の上端から外周金網フェンスまでは平坦な草地となっている。

本件事故発生場所は、右水槽部分に続く幅員約二・七メートルの水路であり、その上部は、前記コンクリート敷及び護岸が途切れており、右水路水面と上岸の草地部分との間は垂直なコンクリート壁面であり、右コンクリート壁面の際には、水路の幅員に対応した高さ約一・二メートルの金網フェンスが設置され、本件事故当時、右水路水面から周囲のコンクリート施設との高低差は、高い所で三メートル、低い所で〇・三メートルであって、水槽部分及び水路部分の周囲には手を掛ける場所はない。

4  本件事故の翌日、外周金網フェンスには、別紙見取図ロ、ハ、ニの三点の外二か所合計五か所の穴が開いており、穴の大きさは、別紙見取図ロ点が縦約五〇センチメートル横約四〇センチメートル、同ハ点が縦約三〇センチメートル横約四〇センチメートル、同ニ点が縦約五〇センチメートル横約三〇センチメートル、他の二つの穴はひとつが縦約四〇センチメートル横約二〇センチメートルで、他方が縦横共約四〇センチメートルであった。

5  本件事故当時別紙見取図北にある出入口門扉横の外周金網フェンスに「関係者以外立入禁止」と記載した立札が掲示されており、別紙見取図南西にあるコンクリート製の橋付近の外周金網フェンスには「あぶないはいるな」と記載した立札が道路側に向けて掲示されていた。また本件排水機場には千葉県から委託を受けた市川市の職員である穐本保が管理人として家族とともに住み込んでいたが、同人は昼間は他所で執務にあたっており、他に右排水機場に人が入らないように監視する要員はおらず、本件調整池の周囲を定期的に見回ることもなかった。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右4の外周金網フェンスの穴については、《証拠省略》によれば、本件事故当日、所在不明となった豊と修の捜索救助のため、原告ら方近隣居住者や警察官、消防隊員らが、本件排水機場内に立ち入ったことが認められるが、右事実から直ちに本件事故発生後事故現場に駆けつけた人々がこれらの穴をくぐり抜けて、穴の大きさを大幅に拡げてしまったということを推認することはできず、豊と修が本件排水機場内に立ち入った後に前記4の穴が開けられ若しくは拡大したことを認める証拠はないから、本件事故発生時において外周金網フェンスにほぼ前記4の大きさの五か所の穴が開いていたことを認めることができる。

三  以上の事実からすれば、本件調整池は、水深が約二メートルから三メートルと深く、水槽の周囲に手を掛けるところもないので、幼児が転落した場合には自力ではい上がることが困難であって、本件排水機場内に人が立ち入った場合には人命に対する危険性を有するが、本件排水機場の外周には高さ約一・五メートルの外周金網フェンスがあり、さらに右金網フェンスの内側に入るとその直下に本件調整池があるような状況ではなく、草地及びコンクリート敷部分を経て水槽に至るのであり、前記のように立入禁止札も二か所に掲げられていたのであるから、本件排水機場内の危険性及び内部への立ち入り禁止の趣旨は明示され、通常予測しうる危険性に対する防止設備は設置されていたというべく、これ以上に、右外周金網フェンスを乗り越えたうえ本件調整池に近づく異常な行動を予測してその防止のために金網フェンスの高さを高くし有刺鉄線を張るなどの措置を講じておかなければ営造物に瑕疵があるとまではいえず、また《証拠省略》によれば、水槽の縁に手すり等を設けることは調整池の浚渫作業の障害となることが認められ、右障害にもかかわらず調整池周囲に転落防止のため水槽の縁に手すり等を設置しておかなければ営造物に瑕疵があるとはいえない。

証人池谷勇は、本件排水機場の改良工事が終った昭和五四年頃から本件事故までの間、本件排水機場内に子供が入って遊んでいるのを三、四回目撃したことがある旨証言しているが、他方で証人高鳩ミネ子、同小林喜一、同穐本保は、いずれも本件排水機場の内で子供が遊んでいるのを見たことがない旨証言していること及び本件排水機場周辺は住宅地であるものの子供の遊び場となる公園等がないわけではないことから考えて、本件排水機場に子供が頻繁に出入りしていたということまで認定することはできず、してみると子供が中に入らないように監視員を置き常時本件調整池周囲を見回らせなければ営造物の管理に瑕疵があるとまではいえない。

四  しかしながら、前記の本件排水機場外周金網フェンスに開いていた大小五か所の穴の中には子供が自由に出入りできる大きさのものもあり、フェンスに穴が開いている場合には、分別のつかない子供にとっては中に入りたい誘惑に駆られ易いことも十分窺えるところであって右のような穴が放置されていたことは右の本件調整池の危険性に鑑みると、排水機場としての通常有すべき安全性を欠くものであり、訴外千葉県知事が右フェンスの穴を補修することを怠ったことは、営造物の設置・管理の瑕疵にあたるというべきである。

豊と修が発見された場所が別紙見取図の本件事故発生場所であることは前記一のとおりであり、また《証拠省略》によれば、調整池の水の流れは豊と修が発見された下水路部分から南東部分に向かって流れていたことが認められるから、豊と修が本件調整池の別の場所に落ちて下水路の方に流されたとは考え難く、豊と修が調整池に転落した場所は本件事故発生場所付近であるものと推測され別紙見取図ロ、ハ、ニ各点の穴は右転落場所に近いが、豊と修が本件排水機場内に入った経路について直接これを認めるに足りる証拠はなく、かえって、本件事故直前の豊と修の行動については、以下の事情が認められる。即ち、別紙見取図C地点に豊と修の自転車が放置されていた事実は当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、本件事故当日の午後四時半過ぎころ、本件排水機場北東側の道路を通りかかった高嶋ミネ子は別紙見取図イ点の外周金網フェンスに手足を掛けてよじ登ろうとしていた豊及びそのすぐそばにいた修と他一名の子供を見つけて注意して止めさせた後その場を立ち去ったことが認められ、また《証拠省略》によれば、豊は身長一一五センチメートル、修は身長一〇二センチメートルであったことが認められ、原告武道本人尋問結果中には、修は行動が活発でなかった旨の供述があるが、兄と共にいた通常の運動能力を有する四歳四か月の子供にとって約一・五メートルの外周金網フェンスを乗り越えることが不可能であるとまではいえず、五歳九か月の豊にしてみればなおさら容易であったと考えられ、以上の事実によれば高嶋ミネ子が立ち去ったあと豊と修が、自転車の置いてある場所付近から再び外周金網フェンスをよじ登って本件排水機場内に入った可能性も否定できず、右事情に照らすと、豊と修が外周金網フェンスの穴から本件排水機場に入ったことを推認することはできない。

二人の子供を同時に突然の事故で失った原告らの悲しみは推察するにあまりあるが、以上のとおり豊と修が原告主張のように外周金網フェンスの穴から立ち入ったことを認めることはできないから、豊と修の転落死亡事故と本件排水機場の前記設置・管理の瑕疵との間に因果関係があるということはできず、原告らの主張は理由がない。

五  よってその余について判断するまでもなく、原告らの本訴請求は失当であるから、いずれも棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 荒井眞治 裁判官 藤村眞知子 中山幾次郎)

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